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Happy Life

しくじり先生を見て Ⅰ

2015/11/06 Fri

バラエティ番組で「しくじり先生」を見て俺も反省しないといけないな~と
思いましたよ。
けっこう波乱万丈な人生を歩んで来た気がします。

昭和の和やかな時期に育ったので警察にご厄介になる事は少なかったですが
今の平成のご時世でもし少年期を過ごしていたら少年院ぐらいには入れられていた
かもしれませんね。

そんな幼少期の思い出から書き綴ってみます。

昭和43年に生まれました。
大阪市の一番端っこの三国って街です。
小さな町工場の三男坊です。
オイルショック前だったので比較的裕福な状態だったようです。
記憶にはないのですが。
両親共に家業が忙しかったようでおばあちゃんに育てられたような記憶が
あります。
幼稚園に入るまではおばあちゃんの生まれ故郷の島根県の江津で過ごす事が
多かったですね。
家の前に山陰本線の線路があって蒸気機関車が走っていたのを薄っすらですが覚えています。
まあ、この頃までは反省するような馬鹿な事はしてなかったはずです。

幼稚園に入った頃、近所の悪がき達と酒屋の倉庫に忍び込みジュースを飲んでいたら
店の人に捕まって親を呼び出されこっぴどく怒られたそうです。
まあ、窃盗ですもんね。
この頃から生き物が好きで近所の爆弾池とかでザリガニや食用ガエルを捕まえて
遊んでいました。
トカゲやカマキリなんかも手あたり次第飼育してました。
親戚が茨木の農家をやっていたので夏場は泊まり込みで
カブト虫やセミを捕まえに行ってました。
この頃は普通にホタルも飛んでいましたよ。

おそらくですがこの頃に第一次熱帯魚ブームみたいなものがあって
うちの家でもステンレスのフレームの水槽でグッピーを飼育していました。
この頃から熱帯魚の飼育熱が高まっていたようです。
小学校にあがると小学館の熱帯魚図鑑や生き物図鑑に夢中で
いつかアロワナやピラルクーを飼うんだ!と誓っていました。
同級生の父親で筋金入りの熱帯魚マニアの方がいてて良くお邪魔して
熱帯魚を眺めていました。
当時では珍しく180cm水槽でポリプのオルナティやピンカラなんかが群泳してましたね。
僕は僕で当時の小遣いではとてもじゃないけど熱帯魚を買えないので
父親の鉄工所を時給150円ぐらいで手伝って月に1万円ぐらい稼いで
熱帯魚につぎ込んでいました。
40年前の方が今よりも高かったんじゃないでしょうか。
ブラックアロワナを1匹8000円で購入した記憶があります。
そんな感じで勉強もせず熱帯魚の事ばかり考えて過ごした小学生時代でした。

中学にあがった時に熱帯魚マニアの仲間というか師匠というか
凄い人がいてて開業するんだといって開業したの大阪で有名な「アフリカ」さんです。
ある意味、ここから僕のしくじり人生が始まったのかも知れません。
そんな感じで当時のアフリカさんも最初は泣かず飛ばずで苦しく奥さんの
犬猫のトリミングに支えられ飛躍の時を待ってる状態でした。
そんな僕はというと適当にアフリカさんでお手伝いをしてバイト代をいただき
欲しい熱帯魚や器具は卸値で購入という特典付きで優雅にアクアライフを過ごして
いました。
適度に小遣いもあったので少し不良の道を歩中二の頃にはいっぱしのヤンキーになって
いましたよ。でも熱帯魚は飼ってるという可愛らしさ。
ちょうどこの頃、競艇のトップ選手の松井選手と知り合ったわけです。
アフリカさんの近所の鮮魚店の息子さんでお母さんが犬を飼っていたので散髪に
連れて来てたのがきっかけでしたね。
その頃から仲良く熱帯魚談議に花を咲かせていました。
その当時はまさかトッププロになるなんてこれっぽっちも考えていませんでした。
熱帯魚はアフリカンシクリッドが大ブームで毎月毎月新着の魚が沢山入ってきてて
凄い賑わいでしたね。
今でいう三和のポリプの旧タイプのエンドリが入っていたのがまさにこの頃だったので
それから35年も経っていますので今頃旧タイプのエンドリなんて生き残って店頭に並んでいるはずが
ありません。
日本中探せばまだ飼育しているマニアさんはいてるかもしれませんがとてもじゃないけど
繁殖に使える年齢じゃないですね。
同時にまだこの頃は本物のシャムタイガー(ダトニオ)が普通に入荷していました。
小さな個体で2000円くらいだった記憶がありますね。
前述のエンドリの三和が大ブームで関東の有名なお店の人たちも入荷の度に
大阪にやってきてましたね。
しかし、その繁栄も長くは続かず何があったのか今では謎ですが
突如して三和の社長が姿を消して会社は消滅してしまうのでした。
一説では熱帯魚の輸入はおまけで覚せい剤や拳銃の密輸がメインで
黒い組織に消されたんじゃないかとの噂でしたね。
まあ、そんな感じで世の中からエンドリが姿を消した瞬間でした。

そこで熱帯魚ブームが途絶えてしまうのかと思ったのですが凄かったのは
ここから第一次アジアアロワナブームが起こった事でした。
僕は中学2年生になっていました。
ある日、アフリカの社長が興奮して凄いアロワナがおるんや!とあんなん見た事がない!と。
近所の木材輸入会社の事務所にそのアロワナはいてました。
しばらくすると店頭の水槽に「幻のオレンジアロワナ」と書かれた札と共に
セパレーターで仕切られていましたが今でいう紅龍が二匹泳いでいました。
そこからですわ、第一次アロワナブームが起こったのは。
当時初入荷の時で記憶にあるのが卸値が8万ぐらいだったような・・・。
もちろん当時もサイテスⅠ類なのでバリバリの密輸品でしたよ。
その木材輸入業者のツレでN久保っていうおっさんが運んでいました。
その西〇〇っておっさんはこの後あちこちに卸して荒稼ぎをしてたのですが
千葉の松〇〇さんの所に運んだところで現行犯逮捕されサイテスの違反で逮捕された
人間の第一号という名誉ある勲章をいただき今でもタイで密輸の采配をしてて
現役で密輸業に精をだしているそうです。
まあ、ここから数年4~5年ぐらいかなアロワナの大ブームでとにかくぼろ儲けしたようです。
余りにも堂々と密輸品を売るもんだから一度だけ警察に連れて行かれたようでした。
当時、テレフォン情報といって留守電にメッセージを吹き込んで入荷の案内を聞ける
サービスがあってそれにも堂々とアロワナの入荷情報を流していたので言い逃れできなかった
ようです。(笑

そんな黄金期を過ごし僕は遊びまくっていて中学三年生の時はほとんど授業に
出ることが無かったです。
とりあえず学校には行くのですがツレの家に行って麻雀して昼からパチンコ、夜は居酒屋みたいな
流れで遊びまくっていました。
塾だけは真面目?に行ってました。
高校受験も無事に乗り切り普通の学校に行ってたのですがなんせ普通過ぎてツマラナイ。
中学時代につるんでいたツレなんて誰一人高校に行ってませんから。
まあ、この編から本格的にしくじりだすのですが。
なんせ勉強は一切しない。来る日も来る日もバイト漬け。
365日、夜遅くまでバイトしてましたね。
今、思えばこの頃にもう少し勉強するかクラブ活動するかしてれば良かったですね。
当時は金儲けしか考えていませんでした。
一応、高校2年生でアメリカに語学留学という目標があったので本当に目標額を目指して
来る日も来る日もバイトばかりでした。
そんなんで2年生の夏休み前には目標の100万は貯金出来ていましたよ。
そのままアメリカに行ってれば良いもののここで人生の大きなターニングポイントが・・・。

続きはまた後日、
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